【開発秘話#2 〜建築編〜】水のベールをくぐり、未来へ連れ出す。建築に託したその思い
大阪・関西万博の会場は、大阪ベイエリアに位置する埋立地を利用してつくられた人工島の夢洲(ゆめしま)。「海と空を感じられる」会場としてデザインされています。その中心付近に位置するのが、「いのちの未来」を含む8つのシグネチャーパビリオン。今回は私たち「いのちの未来」の顔ともいえる展示館の建築について、建築チームの声を交えながらご紹介します。
建築が表現する「いのちの未来」とは
「いのちの未来」の建築は、2020年の年末、企画統括ディレクターの内田まほろから建築家の遠藤治郎(建築・展示空間ディレクター)への打診で始まりました。プロデューサーの石黒浩と遠藤は、その数年前から日本科学未来館の展示や米国SXSWなどで何度か同じプロジェクトに関わるものの、この万博で初めて協業。石黒の研究や活動への理解はすでにありましたが、改めてキックオフ後に印象に残ったのは「“いのち”がテーマ。人は無機物から生まれ、人という有機物は無機物(編注:例えばロボットやアンドロイド)へ向かう」という石黒の言葉。そこで遠藤が注目したのが、無機物と有機物を結びつける要素である“水”でした。30年近く前の美大生時代に、生物学教授からの学びをもとに考えた建築への概念「渚~Edge of Water〜」とのつながりを感じたのです。石黒も水を使った建築物に大いに賛同しました。そして何よりも、万博が開催される大阪は水の都でもあります。水はこの万博の象徴になると思ったのです。
「渚~Edge of Water〜」より
固体・液体・気体という物質の三態のぶつかりあう場所として渚があります。地図にはその境界は描き出せますが、その形も実は常に動いており、境界では砂と水と空気は混ざり合い、その長さは誰も測りえません。そこは気候と時間に最も影響を受けつつ、最も人の心を捉える風景を生み出しもします。いのちはこうした「渚」から拡がったのではないでしょうか。水そのものがいのちの象徴であるだけでなく、それが建築の境界を溶かしつつ、際をつくり、未来を感じさせる礎としての建築。無機物から有機物への進化、そして再び無機物へ拡がるいのちの流転の可能性を、ここに建築として隆起させます。その表象は重力に立ち向かい、立ち上がった人類そのものなのです。
渚からの着想で、外観を滝のような水で覆うアイデアや、地球という大地のダイナミズムを刻むがごとく地面からせり上がるような建築イメージが浮かんだ遠藤は、CG動画を作成して「いのちの未来」協働メンバーに共有。そこから建築家の住吉正文が建築・展示空間プロジェクトマネージャーとして加わり、設計条件や敷地の広さなど少ない情報の中で設計イメージを構築。建物の形状や水の表現(水景)などについて、アイデアと設計イメージを行き来しながら、私たちは基本計画を練り上げていきました。
いのちの象徴を描き出す水景デザイン
イメージを形にしていく中で一番の課題となったのが、水景を生かした建築表現。本格的な実務を進めるにあたり、2015年ミラノ万博の日本館を担当した石本建築事務所をパートナーに迎え、私たちは二人三脚で基本設計を進めていくことになりました。そこで、遠藤や住吉とともに基本設計のコアメンバーとしてチームを引っ張る存在となったのが、石本建築事務所の意匠設計者である大谷佳奈さんです。
「初めてパースを見せていただいたときに受けた印象は、建築物というよりは彫刻やオブジェでした。よくよくお話を伺うと、そこにしっかりと意味があって。石黒パビリオンだけあって黒い石のようでとてもシンプルなのですが、シンプルな中に込められた『いのちの未来』としての表現を大事にしたいという思いは、遠藤さんたちとも共通認識としてありました」
基本計画にあったいくつかの課題点の中でも、やはり大谷さんや石本建築事務所のメンバーの目から見ても難題だったのが水景。
「空中を落水や放水により形づくる水景アイデアは率直に難しそうだと感じました。そもそも12mも放水させるという事例を見たことがなく、形が保てるか、保てたとしても求めるような形は厳しいだろうなと……。ただ、いのちの象徴としての“水”やアイデアに込められた意図もわかるので、簡単にできないと返事をするのも違うなと思ったんです。そこで、水景メーカーに協力していただき、まずは一度12mの放水実験をしてみることにしました」
大谷さんらが想像した通り、理想とする水景を描くことはできず、放水案は断念。その後、壁をつくって流す方向性で考えていくことが決まり、チームで共有ツールなどを使いながら水景の事例を集めたり、モックアップを使って水の動きを実験したりすることで、私たちは少しずつアイデアを形にしていきました。
「最終的には外装材に“膜”を使い、そこを水が流れるような水景を描くことに。外装材も金属パネルやカーボンファイバーみたいな炭素繊維も検討していたのですが、重さやコスト、何より水との相性など総合的に考えて、膜を採用することが決まりました。外装を膜にすると決めてからも、その納まりやたたずまいとしての美しさなど、考えることは山ほどありましたね。当然、金具など何かしらで膜を留めなければならないのですが、風が強い日など水が流れないときに、その部分が目立ってしまったら石のオブジェのようには見えない。どう見えるかの検証も何度も行いました。循環させる水の回収の仕方は、2020年のドバイ万博で見たインスタレーションも参考になりましたね。また石黒さんからは、均一に水を流すために吐水部分へ均等に切れ込みを入れてはどうかというアイデアをいただき、その可能性を検証しています。最終的な水景表現は、今も試行錯誤が続いています」
リアルな技術の展示がいざなう未来
水景以外にもうひとつ大きくチームを悩ませたのが軽量化。万博会場は埋立地のため、地下をあまり深く掘ることができず、必然的に建築物自体を軽くする必要がありました。
「今回、掘削(編注:建築物などの工事において土地や地盤を掘り取ること)の深さが2.5mと一般的な建築物に比べてかなり浅いというのが条件のひとつにありました。例えば多くの建築物の基礎は鉄筋とコンクリートで造りますが、そうするとどうしても重くなってしまう。そこで、鉄骨化するという発想に至ったのですが、基礎部分の柱と梁(はり)を鉄骨で造るというケースはなかなか聞いたことがなく……。構造担当者から最初にその意見がでたときは戸惑いがあったのですが、技術的な検証も重ねて問題ないということで鉄骨を使うことになりました。鉄骨だと万博終了後にリサイクルができてエコだというのもありますね」
大谷さんは、建築デザインはもちろんのこと、社内の各セクション(構造・設備など)との調整、私たちや博覧会協会・施工者・展示チームとの調整、コスト管理など幅広い業務を担当。その苦心は建築や設計に関することだけではありませんでした。
「延べ床面積だけでいえばそれほど大きくないプロジェクトなのですが、こんなに多くの方が関わる仕事を、自分が中心で回していくというのは初めての経験。社内メンバーだけでもいつもの倍近くの方がいて、社内外の様々な建築関係者を合わせると50名以上の方が関わっているかと思います。さらに、自分たちが協力をお願いしている水景メーカーや外装膜メーカーの方もいるので、最初は打ち合わせなどのスケジュールひとつをとっても、調整が大変でした。現在は打ち合わせを定例化したり、コアとなるメンバーがわかってきたりして、要所を押さえながら進めていけるようになりました。そこが一番の成長かもしれません」
「いのちの未来」は8つのシグネチャーパビリオンの中でも、イメージだけにとどまらず実際のリアルな技術を展示しながら未来シーンを提示する展示館。大谷さんは、現在を生きる人を、まだ見ぬ未来へと引き込むためにも建築の役割は大きいと話します。
「石黒さんのおっしゃる『未来のいのちがデザインされたシーン』の表現としても、外観を覆う“いのちを表す水”は重要です。まだまだ調整が続いている段階ですがチームでコミュニケーションを取りながら、最終的にこの水のベールをくぐったら未来の世界があるという空気感をしっかり演出できたらと思います。また、展示エリアは1階と2階に分かれているのですが、そういったシーンが切り替わる移動中の景色の変化=シークエンスでもお客様にこのパビリオンならではの体験を味わっていただけるような工夫をしていきたいです」
実施設計の真っただ中にいる私たち「いのちの未来」は今、より具体的な検討や展示内容との擦り合わせなどを進めています。開催まであと2年となった大阪・関西万博。2年後の春、そこにはどんな世界があるのか。大きくそびえ立つ建築が語るいのちの未来は、自然のような雄弁さで多くのことを伝えてくれることと思います。
シグネチャーパビリオン「いのちの未来」 建築チーム
■建築・展示空間ディレクター:
遠藤治郎 合同会社SOIHOUSE https://www.soihouse.com
■建築・展示空間プロジェクトマネージャー:
住吉正文 ファロ・デザイン有限会社 https://www.faro-design.co.jp
■基本設計:
株式会社石本建築事務所 https://www.ishimoto.co.jp
■実施設計・監理:
株式会社石本建築事務所 https://www.ishimoto.co.jp
株式会社 長谷工コーポレーション 大阪エンジニアリング事業部(設計協力) https://www.haseko.co.jp/hc/
■施工:
株式会社 長谷工コーポレーション https://www.haseko.co.jp/hc/
不二建設株式会社 https://www.fujikensetsu.com
■監修:
石黒浩 プロデューサー
内田まほろ 企画統括ディレクター
小林大介 制作統括ディレクター